七走一坐**肺がんとの共存生活**

わたしは、31歳の時に肺がんステージⅣbを宣告されました。今同じ悩みを抱えている方がいたら少しでも救ってあげたい。そんな想いからブログを書くことにしてみました。

生きるということ

死んでないのかよって思いましたよね。

わかります。


でもあの時は本当にそうする予定でした。


こういう状況になる人もいると思うので、あの記事は消さないでおき、また自分もそうなった時に見返して、2度とそんな事を思わないようにします。


ガン告知の日あんなに生きたいと思ったのに、この先のわたしの医療費、子どもの養育費、旦那の借金、車のローン、その他家賃、食費等を計算したらどう考えても生きていける気がしなくて…


せめてわたしの治療費がなくなり、終身保険の保険がおりれば、子どもは不自由しなくなるのではないかと思いました。


所詮他人は他人。勝手にしとけと思った方もいるでしょう。わたしはそういう人がほとんどだと思ってました。

でも違いました。

がんと闘う方々はみんな優しかった。

Twitterの通知が止まらなく、どうせ非難されるんだろう…と弄れた気持ちで渋々見ました。


現実はみんなわたしを勇気づけてくれたり、励ましてくれたり…

優しくて暖かい言葉が溢れていました。


それを見て泣きました。

なんて馬鹿な事しようとしてるんだろう。

まだ諦めるには早いんだ。

明日本当にダメだったら、弁護士でも相談所でも相談しに行けばいいんだ。

(これも全部教えて頂いた情報です。)


色々考えて全く眠れはしませんでした。


夜中、子どもがわたしを探してぎゅっと抱きしめてくれた時、本当に締め付けられる思いで、この子は絶対に守って行かなければ行かなければならない存在なのだと再認識しました。


正直行くまでずっと不安でした。

でも、みんなの励ましの言葉を思い出したら前に進めました。


しっかり自分の意見伝えなきゃ…


そう心に決め、iPhoneボイスレコーダーのボタンを押して入室しました。



今まで電話でやり取りしていた上司もいましたが、その隣には更に上の方がいて、こう話しました。


これからは施設との兼ね合いもある為、一旦出向は取り消すとの事。


わたしの負担を最小限に抑えられる様にする仕事の仕方に変えるという事。

(でも、選択肢は2つで、1つ大きめの事業所+小さめ事業所掛け持ちorちょっと面倒臭いとこ3件掛け持ちという選択肢…結局掛け持ちかいとなりましたが、一旦納得。)


給料は今と変わらずにするということ。

(と言って出された書類に書かれていたのはマイナス10万だったので、確認したら電話でやりとりしていた上司の作成ミスで、直して貰えました。)


無理だけは絶対にしないで欲しいという事。


何度か壁はあったものの、思いを素直にぶつけた事により伝わった様です。

感情が昂りすぎて泣いてしまったことは今になって恥ずかしいですが、思いが伝わったなら結果的にはよかったのかな…と。


わたしにとって命懸けと言っても過言ではなかった面談。

無事終わってよかったです。


それもこれも励ましてくださったみなさんのお陰なんです。


本当にご迷惑おかけしてしまって、申し訳ありませんでした。



また前を向いて歩き始めたいと思います。