七走一坐**肺がんとの共存生活**

わたしは、31歳の時に肺がんステージⅣbを宣告されました。今同じ悩みを抱えている方がいたら少しでも救ってあげたい。そんな想いからブログを書くことにしてみました。

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脱走

こんにちは。

 

わたしは何かいつもまちがえている。1つの事に集中してしまうと目の前が見えなくなっちゃう。

昨日、本当に死にたいと思って、病院で泣き叫びました。でも叫んでも泣いてもなんにも解決しない。

思ってることが違うから。

そして、看護師さんは何もわかってくれない。だって看護師さんだって元気な人だもん。わたしの事なんて分かるわけない。

将来が見えないわたし。

わたしには何も無い。

周りのみんなは幸せそうなのにわたしだけなんで…

つらい。

苦しい。

なんでわたしだけこんなに必死に我慢して生きなきゃ行けないの?わからない。

甘えてると思われても構わない。

だって本当に頑張ってきたから。

一人で何もかもやってきた。

なのに何も報われない。わたしって何なんだろう。

報われないことばかりで嫌気がさす。

真っ暗闇の中を1人でずっと歩いてる感じ。

だから昨日病院を抜け出した。

抜け出したって気づかれない病院。

看護師さんもわたしのことなんて何も気にかけてないんだろうな。

もう疲れちゃったよ。

きっとこの先も変わらず1人だから。

大変なのはわたしだけ。

まだ冬の寒空はとても冷たくて私の体を冷やしていった。

雪も溶けて雨が降った後なのか、地面はツルツル。

何度も転びそうになりながら歩いた。

その時も何度も死が過ぎった。

このまま車にひかれれば…

この川に飛び降りれば…

でもその覚悟はなかった。

黙々と寒空を歩き続けた。

気付くと実家の前にいた。

帰るかは何度も悩んだ。

どうせわたしなんかいなくても誰も心配なんてしないから。

でも冷えきった身体はもう限界だった。

だって薄いパジャマにカーディガンだけだもの。

よくここまで歩いたと思うほどだった。

だから、家に帰ることを決心した。

 

チャイムを、鳴らした。

 

慌てて出てきた母の様子で病院から連絡来たのだろうと予想がついた。

 

「どうしたの?!」

 

慌てて聞く母。

 

 

「病院の人たちは何もわかってくれない。だから帰ってきた」

 

そんなような事を言ったと思う。

 

 

わたしがいなくなっても何もわかってくれない病院の人達が嫌になってしまった。

 

寄り添ってなんかくれない。

中には「笑わなきゃダメ」「泣くと免疫力が低下する」「もっと強くならないと」

って言う人もいた。

 

それって寄り添いの言葉なのかな?

違うと思う。

わたしにとっては追い打ちをかけられてるだけ。

 

こんな病院もうやだ。

先生しかいい人がいない。

 

でも、結局帰ってきちゃった。

 

いやだな。

憂鬱。

 

もう、わたしの居場所はどこにもないみたい。

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